横濱ジャズプロムナード2010




横濱JAZZ ESSAY  5 chorus

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“横浜に学べ”ジャズ関係者よヒップでいこう

高橋慎一(カメラマン/ハバナ・ジャム・セッション主催)

 街の喧噪を夕闇が包みはじめた、午後6時の新宿。仕事を終えた僕は、カメラ屋やレコード屋を数件ひやかした後、『ビームス』へと立ち寄った。チョイ悪親父よろしく派手めのジャケットを試着して鏡の前でポーズをキメテいると、『あれ~高橋さんじゃないですか?』と後ろから声をかけられた。  驚いて振り返ると、ジャズ界きっての伊達男、ディスクユニオンのY氏がいるではないか。ダンディなスーツに身を包んで、高級オーダーメイド・ジャケットのコーナーに佇むY氏、僕の顔を確認すると『やっぱり高橋さんだ。いや~、しょっちゅうビームスに来てるケド、ここでジャズ関係者に会ったのって初めてだ』と、 しみじみ呟いた。
  うーむ、これはゆゆしき事態ですよ。このY氏の発言が事実だとすると日本のジャズ関係者は、オシャレの殿堂『ビームス』に足を運ばないって事ですよね。それじゃあ、クールでイカしてヒップなジャズの新作アルバムが少ないのも当然だ。
  少なくとも僕はリスナーとして、お洒落に関心の無いプロデューサーやディレクターが制作したジャズのアルバムを聴きたいとは思わない。恐らくマイルスもフェラ・クティもラファエル・コルティーホも、僕の考えに賛同してくれるんじゃないだろうか?  その昔、ジャズは世界で一番ヒップなムーブメントだった。それがいつの間にやら、青白い顔の青年がミシェル・フーコーと不味いコーヒーを小道具に、うす暗いジャズ喫茶で眉間にシワ寄せて語るマイナーで高等な遊戯に変質してしまった…。
  暗がりで哲学するジャズの聴き方があってもいい。実は僕も大好きだ。アングラ一筋の青春時代を送ったから、マイナー世界に耽溺する快感はよく解る。しかし、しかしだ。この閉息する時代状況のなか、いつまでもジャズを身内にしか理解不能な特種言語で語っていていいのだろうか?あまりに長く続いた業界不況を乗り切るために、今こそジャズは“カッコよさ”を奪回せねばなるまい。
  そこで横浜だ。以前、“知の巨人”平岡正明氏にインタビューしたとき『新宿ではジャズは“芸術”、横浜ではジャズは“芸”だ』という有り難いお言葉を賜った。けだし名言である。  “芸”。なんと良い響きを持った言葉だろうか。そこには“粋”だとか“いなせ”だとか“色気”だとか、カッコよさのエッセンスが凝縮されている。僕はジャズマンとは、一芸に秀でた色気のある男(女)のことだと勝手に解釈している。そして、ジャズマン=いなせな芸人説を実践している土地が横浜であり、その核をなす運動体こそが『横濱ジャズ・プロムナード』であるハズだ。
  『プロムナード』を楽しむのに、こ難しい理屈はいらない。思い付くままに小屋をハシゴしてお気に入りのバンドを発掘し、小腹が減ったら中華街で舌鼓を打ち、隣に可愛い娘ちゃんが同伴なら尚OK、とこんな感じで楽しみたいジャズ・イベントは他にないだろう。  今年もクールでヒップで粋なイベント『横濱ジャズ・プロムナード』に通ってエッセンスを分けてもらい、イケてるジャズ親父を目指したいものだ。

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